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青江三奈「国際線待合室」


(※動画は非公式です。予告なく削除される可能性あります)
 12月25日リリースの名曲、クリスマスソングばかりかというと当然そんなわけはなく。もっともこの時期でも日本で既にクリスマスは定着していたのではないかとは思いますが。というわけで今回は1969年から青江三奈の「国際線待合室」を紹介します。
 舞台は大阪国際空港。関空が出来た現在国際線が飛び立つことはなくなりましたが、当時関西の空の玄関といえばここでした。まだ飛行機が庶民で当たり前に利用される時代ではなかったですが、1970年この空港の需要は大変な伸びをみせます。それも当然です。かの有名な日本万国博覧会。というわけで現在の旅客ターミナルビルが完成したのは1969年2月、滑走路が増設されたのが1970年の2月。来たる大イベントに向けて総力をあげて準備していたわけです。
 というわけで楽曲。搭乗案内のアナウンスから始まります。”BOAC航空851便、東京、アンカレッジ、ロンドン行きの出国手続きは間もなく終了致します…”離陸するエンジンの音の中で始まる弦楽器の音、そこから流れる歌謡曲のイントロ。旅の始まりを感じさせるオープニング、蒸気機関車の音なら過去にあったかと思いますが飛行機というのは少なくともそれ以前には存在せず(おそらくは)、時代の移り変わりを感じさせる部分も当時あったかもしれません。歌謡曲、特に旅の風景を歌う曲に関して言えば青江三奈
の十八番。雰囲気たっぷりに歌いあげています。
 当然ながら大ヒット、美空ひばりが君臨していたので紅白のトリはなかったですが第21回(1970年)ではトリ前の歌唱、実質トリみたいなものですね。1969年は「池袋の夜」がミリオンセラーを記録、その前の年が「伊勢佐木町ブルース」。この時期が青江三奈の全盛期でしたでしょうか。1971年・1972年辺りからは歌謡曲の世界もガラリと様相が変わり、顔ぶれもヒットする音楽の種類も変化していきます。万博以前・万博以後というわけではないでしょうけど、例えば1969年と1972年は紅白歌合戦出場歌手の顔ぶれを見てもかなり変わっているのが分かると思います。歌の世界だけでなく国単位で、先進国化の段階を通り越して成熟化した今の日本ではこれだけドラスティックな変化はもう望みにくいかもしれないですね。
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tag : 1969年 女性演歌 青江三奈 紅白歌合戦歌唱曲

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初めまして

こんばんは。昭和の歌謡曲とオールディーズが
大好きな(しか愛せない)20代の若造です。
こういう曲を歌わせたら、
やはり青江三奈に敵う歌手はいませんね。
素晴しいの一語に尽きます。
似たような曲では、内山田洋とクール・ファイブの
「さようならの彼方へ」がありますが、
発売年からして成田国際空港が舞台なんでしょうか。

ちなみに大阪国際空港、
我が地元では“伊丹空港”と呼ばれております。
個人的な話ですが、伊丹発着の国際線には子供の頃、
何度かお世話になりました。懐かしい思い出です。

サンチャゴ様、コメントありがとうございます。

 はじめまして、ですね。よろしくお願いします。
 大阪国際空港、確かに地元・関西圏では伊丹空港と呼ばれていますね。私も近畿で、空港からそう遠くない地域に住んでいるのでよく分かります。
 「さようならの彼方へ」、私も好きな曲です。離陸するエンジンの音で始まる筒美京平作曲のムード歌謡、歌詞に英語が入る楽曲ですね。ですのでイメージはやはり成田なんだろうなぁと感じます。
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